本田美奈子.さん白血病死…闘病10カ月、38歳早すぎる別れサンスポ
2005年11月 7日 (月) 03:18
「1986年のマリリン」などのヒットで知られ、ミュージカル女優としても活躍した歌手の本田美奈子.(本名・工藤美奈子)さんが6日午前4時38分、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で死去した。38歳。東京都出身。デビュー20周年を迎えた今年1月、白血病が判明し緊急入院。復帰への執念で7月に一時退院するなど、闘病生活を懸命に乗り越えようとしたが、無念の若すぎる死を迎えた。
もう1度、歌いたい−。その一念で、1メートル63、38キロの細身に抗がん剤を打ち、病魔と闘い続けた本田さん。希望と不安が交錯する中、入退院を繰り返した10カ月に及ぶ闘病生活。ファンや関係者の温かい励ましに包まれ、歌姫は静かに息を引き取った。
「天使が天国へ戻って行ったような、眠るような最期でした」
6日早朝、本田さんを看取った関係者はサンケイスポーツに明かした。「本人は最後まで、死ぬとは思っていなかったでしょう」と言うほど、順調に回復していた。この土日には一時帰宅まで決まっており、本田さんは「お鍋が食べたい。私は餃子を作るわ」と話していたという。
ところが、先週3日に容体が急変。本田さんは「肺が痛い。ひどく痛むの」と訴えた。菌が肺に入ったのか、抗がん剤の副作用で衰弱しきっていた体は、急速に精気を失って行ったという。
本田美奈子.さん逝く 38歳、白血病スポニチAnnex
2005年11月 7日 (月) 06:15
急性骨髄性白血病で闘病中だった歌手、本田美奈子.(ほんだ・みなこどっと、本名・工藤美奈子=くどう・みなこ)さんが6日午前4時38分、都内の病院で死去した。38歳だった。東京都出身。今年1月に緊急入院し、5月に臍帯(さいたい)血移植の手術に成功。5日にも一時帰宅するはずだったが、3日に急変、昏睡(こんすい)状態にあった。「もう一度歌いたい」との執念で闘病を続けたが、入院から10カ月、帰らぬ人になった。
入院から298日。壮絶な闘病生活を終え、埼玉県の自宅へ帰った本田さん。所属事務所関係者は「とてもきれいで安らかな表情で眠っています。いまにも起きてきそうです」と話した。
デビュー20周年での他界。歌手になった時、白血病で亡くなったのが夏目雅子さん(享年27)だった。夏目さん同様その闘病は凄絶で、抗がん剤の副作用で髪は抜け、バンダナを巻きながら闘い続けた姿に「もの凄く悔しかったはず」とスタッフは声を詰まらせた。
容体が急変したのは今月3日。高熱を発し、胸部がはれ、尿が出なくなった。免疫力の低下から起きた合併症。「最も恐れていたことだった。一番気をつけていたはずだったのに…。頑張って闘い続けてきたが、もう無理だった」(関係者)
両親と妹、育ての親である高杉敬二エグゼクティブプロデューサーらがみとった。5日にも一時帰宅する予定で「鍋料理をやりたい、温泉にも行こう」とはしゃいでいたという。
移植手術後は経過も良好で、7月30日に一時退院。翌31日には自宅で誕生日を祝った。9月に再発が判明したものの、新たな抗がん剤治療で10月には2度の帰宅ができるなど「食欲も旺盛で元気だった」(関係者)というから、あまりに突然の悪化だった。
5日に病室へ見舞いに行った歌手仲間の岩崎宏美(46)によれば、昏睡状態にもかかわらず「大声で呼び掛けると“ああ”と答えてくれた」という。
病室では仕事仲間やファンからの寄せ書きを毎日眺め、見舞いに来てくれた友人たちには必ずメールで感謝の気持ちを伝えた。抱いた不安や希望は詩に書いた。容体が急変する直前には「自分の舞台を見たい」と言い、「ミス・サイゴン」など出演ミュージカルのDVDが届いた矢先だった。
高杉氏は「想像を絶する闘いでした。“歌いたい”という思いだけで、ここまで頑張れたのだと思う」。最後の作品は、先月19日に発売したアルバム「アメイジング・グレイス〜クラシカル・ミニベスト」に収録した「ララバイ」。デビュー20周年のために、入院2週間前に吹き込んだ歌だった。
一時退院の予定が…本田美奈子.さん壮絶死ZAKZAK
礼儀正しく仕事にストイック「越路吹雪さんのよう」
急性骨髄性白血病で6日未明、都内の病院で38歳で亡くなった歌手、本田美奈子.(ほんだ・みなこ・どっと、本名=工藤美奈子、写真)さん。今年1月の緊急入院以後、病床でも復帰への強い意欲を周辺に伝えるなど、最後まで歌と仕事にこだわり続けていた。
本田さんは7月に一時退院したが、9月に再入院していた。最近は快方に向かい、近く一時帰宅の予定もあった中、3日に容体が急変。6日午前4時38分、家族や所属事務所の関係者らが見守る中、静かに息を引き取った。関係者は「静かに眠るようでした」と明かした。
アイドル時代にはこんな“バスタブコンサート”も=1986年8月、東京・渋谷公会堂
本田さんは1月に、体調不良を訴え、検査を受けて病気が判明。5月には臍帯血(さいたいけつ)移植の手術が行われ、7月31日の誕生日を自宅で迎え、回復の兆しをみせた。また、今年がデビュー20周年の節目で、新アルバムを企画するなど創作意欲をみなぎらせてもいた。病室では、ファンからの手紙を毎日読んでは励みにしていたという。
抗がん剤の副作用で、頭髪は抜け落ちてバンダナを巻いた姿での闘病生活に涙する友人もいたが、本田さんは「私は元気」と笑っていた。再びステージに立つことへの希望を持ち続けた。
遺体が安置された埼玉県朝霞市内の実家(奥)には6日、取材陣がつめかけた
5日に本田さんを見舞った歌手、岩崎宏美(46)は「(昏睡状態でも)大声で呼びかけると、“ああ…”と答えてくれた」と話した。
本田さんを知る関係者が口をそろえて言うのは、「礼儀正しく、仕事にストイックな姿勢」というもの。かつて本田さんを取材した夕刊フジ記者も「そうした人柄に好感が持てた。作詞家の岩谷時子さんが“第二の越路吹雪”と絶賛していたのを記憶しています」と話している。
通夜は8日午後6時から、告別式は9日午前10時から。いずれも埼玉県朝霞市溝沼1259の1、朝霞市斎場で。喪主は母・美枝子さん。葬儀委員長は高杉敬二BMIエグゼクティブプロデューサー。
おくやみ 38歳本田美奈子さん死去、白血病でnikkansports.com
「1986年のマリリン」などのヒット曲で知られ、ミュージカル女優としても活躍した歌手本田美奈子.さん(ほんだ・みなこどっと、本名工藤美奈子=くどう・みなこ)が05年11月6日午前4時38分、急性骨髄性白血病のため、都内の病院で死去した。38歳。今年1月に病気が判明して緊急入院。過酷な闘病生活だったが、「きっと元気になってみなさんの元に帰る」と信じて、最期まで闘い続けた。
本田さんは、家族や親類、所属事務所関係者らが見守る中、息をひきとった。関係者は「文字通り、静かに眠るようでした。最後に天使みたいにほほえんで、全員から『わぁーっ』と感動の声が上がったほどでした」と振り返った。
親友の南野陽子、岩崎宏美ら絶句、号泣スポニチAnnex
本田さんと長年の親交があった南野は6日、東京・中央区の明治座で出演舞台「細雪」の公演の合間に悲報を聞き号泣した。関係者によると、昼の公演終了後にスタッフから知らされ、1人で楽屋にこもり大泣き。「ショックが大きくコメントできる状態ではなかった」(所属事務所)と明かしたが、午後4時からの夜の部では、悲しみをこらえ気丈に舞台に立った。
同い年の2人は堀越高校時代はクラスメート。仕事の面では南野が1年先にデビューした“先輩”だったが、「グリコ」のCMで共演するなど公私ともに仲が良かった。
本田さんの闘病中にたびたび病室を訪問。3日に昏睡状態に陥った直後にも見舞っていた。今年8月19日に放送されたテレビ東京「たけしの誰でもピカソ」の本田さんを応援する特別企画にもゲスト出演、ミュージカル「ミス・サイゴン」で歌う本田さんのVTRを見て、涙ぐみながら「待ってるから」とエールを送っていた。8日の通夜には、舞台の公演後に駆けつけるという。
楽曲を提供 清志郎ショック「そんな…」スポニチAnnex
◆本田美奈子. 1967年(昭和42年)7月31日、東京都生まれ。85年に「殺意のバカンス」でアイドル歌手としてデビューし、同年の「Temptation」で日本レコード大賞新人賞を受賞。92年に「ミス・サイゴン」のキム役でミュージカルデビュー。以後「レ・ミゼラブル」「屋根の上のヴァイオリン弾き」などに出演し、ミュージカルを中心に活躍した。04年11月に姓名判断で「字画を1つ増やせば、輝ける未来に」といわれ、名前の最後に「.」をつけて改名した。163センチ。血液型O。
▼急性骨髄性白血病 骨髄でつくっている芽球という、さまざまな血液細胞(白血球、赤血球、血小板)になる大もとの細胞ががん化する病気。正常な血液細胞がつくられなくなり、白血病細胞が血液や骨髄のなかで増殖する。主な症状に感染症(口内炎、肺炎)、原因不明の発熱、呼吸困難、多臓器不全など。日本での発症頻度は10万人あたり約6人。骨髄移植は患者と提供者の白血球の型が一致する確率が低いが、赤ちゃんのへその緒などの血液である臍帯血を移植した場合はその確率が高くなる。こうしたことなどから、日本でも急速に広がっている。89年に俳優の渡辺謙、00年にタレントの吉井怜が発症。どちらも闘病生活を乗り越え、見事に復帰している。
本田美奈子.さんのご冥福をお祈りします。
(-∧-)合掌・・・






