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また明日香村で・・・

2005/12/02

飛鳥で例のない古墳発見 斜面造成、2千枚以上の板石
2005年12月02日03時03分

カヅマヤマ古墳の板石積み石室。14世紀の地震で、大半が左奥の人物の方向に崩れた=1日、奈良県明日香村で
カヅマヤマ古墳の板石積み石室。14世紀の地震で、大半が左奥の人物の方向に崩れた=1日、奈良県明日香村で

カヅマヤマ古墳の墳丘復元図(イメージ)
カヅマヤマ古墳の墳丘復元図(イメージ)

カヅマヤマ古墳周辺の地図
カヅマヤマ古墳周辺の地図

 奈良県明日香村で、山の斜面を大規模に造成し、2000枚以上の板石を積んだ石室を持つ古墳時代後期の方墳が見つかった。同村教委が1日、発表し、地名からカヅマヤマ古墳と命名した。670年代の築造とみられ、古代政治の中心だった飛鳥地域では類例のない形状。一帯は高松塚など同時期の有名な古墳が集中する地域で、造成の規模や石室の豪華さから、村教委は皇族や渡来系王族など有力人物が埋葬されたとみている。

 丘陵を幅100メートル以上、高さ約10メートルにわたって緩いU字形に削ったうえで平らな斜面を造成し、そこから突き出す形で、土を何層もたたき固めて墳丘を造っていた。墳丘は少なくとも高さ約10メートルの3段構造。最下段は地震で崩れた痕跡もあり、2段目は一辺約24メートルだった。

 最上段に納まった石室は板状の結晶片岩(厚さ約5センチ、幅約20センチ、長さ約30センチ)を積み重ねて造られ、奥行き5メートル以上、幅1.8メートル、高さ2メートル。床以外は白いしっくいで塗り固めてあった。板石積み石室は百済の王墓など朝鮮半島に多く見られる。床の中央に高さ30センチの石の台があり、漆片が出土していることから、ここに漆塗り木棺を載せたらしい。

 石室内からは被葬者とみられる1人分の人骨片約50個も見つかった。鑑定した片山一道・京大大学院教授(自然人類学)によると、30〜60代の男性という。盗掘されており、副葬品は見つかっていない。一帯には、7世紀末〜8世紀初めの皇族級の人物が埋葬されたとする説が有力なマルコ山、高松塚、キトラなどの古墳が数多くある。

 14世紀の南海地震によるとみられる跡が4カ所以上あり、墳丘南側や石室の壁が約2メートル下に滑り落ちていた。

 現地見学会は3日午前10時〜午後3時。近鉄飛鳥駅から南西約1キロ。駐車場はない。小雨決行。







なんやまたまた大発見やな!?

飛鳥って色々出てきよるなぁ〜

この辺に土地持ってたら最悪やな(笑)

遺跡ってもし出たら発掘する費用とかみんな地主が出さなあかんねんてな。

我輩この間知ったよε-(ーдー)

ヘタに遺跡出て欲しくないよな!

つーかヘタに地面掘り起こされ辺わな!

ヘタに水洗なんかにしようとしたらそれこそ村あげて大騒ぎちゃうか?w


まぁ〜これでまた観光客が増えること間違いなし!やな(*´ー`)

この辺観光バス止める場所あるんかな?

それにまた駅周辺のレンタサイクルの客引きが横行するのかしら?

なんか、自転車乗らんなこの辺うろつくな!

とでも言いたげなくらいに客引きしよるからな(" ̄д ̄)




そういやレンタサイクルで思い出したが

先日我輩、ここ明日香村に行ってきたんだが・・・



ま、その話はまた別の機会に・・・・・(笑)

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石舞台古墳そばに建物跡

2006/03/10

  
 
 
石舞台古墳そばに建物跡 蘇我一族の宿泊施設か 奈良
2006年03月08日19時57分

2棟分の建物跡が見つかった島庄遺跡の発掘現場(上部)と石舞台古墳(手前)。画面左が北=奈良県明日香村
 古代の権力者、蘇我馬子(そがのうまこ)(?〜626)の墓とされる奈良県明日香村の石舞台古墳(特別史跡、7世紀前半)の隣接地で、建物跡2棟分とみられる柱穴が見つかった。同県立橿原考古学研究所が8日、発表した。日本書紀は、馬子の墓を築く際に蘇我一族が現場に泊まっていたと伝えており、その宿泊施設の跡である可能性が高いという。一族の紛争の発端になった場所でもあり、飛鳥時代の古墳造営や権力闘争の実態解明につながる新材料になりそうだ。
2棟分の建物跡が見つかった島庄遺跡の
発掘現場(上部)と石舞台古墳(手前)。
画面左が北=奈良県明日香村で、本社ヘリから


 日本書紀には、古墳に関連する建物についての記述は馬子の墓以外にない。一般的に古墳の周辺を調査する例は少なく、今回のような遺構が見つかるのは異例という。

 県道工事に伴って石舞台古墳の周辺に広がる島庄(しまのしょう)遺跡内の棚田約280平方メートルを調査。古墳東側の外堤(推定)から約30メートルの所で計9本の柱穴(直径約20センチ)が見つかり、6本の列(約8メートル)と3本の列(約3メートル)に分かれていた。いずれも古墳石室と同じ北北東―南南西の向きに並び、7世紀前半の土器が出ており、古墳築造と同時期の2棟の建物跡と判断した。

 また、一辺と深さが2メートル近い四角い穴の一部が2カ所で見つかった。それぞれ直径約30センチ、高さ10メートル以上の柱が立っていたらしく、儀式や目印に使われたとの見方がある。直径約20センチの旗ざおを立てた可能性のある穴や、砂利敷きもあった。

 日本書紀は、628年に「蘇我一族が馬子の墓(桃原墓(ももはらのはか))を造るため墓の地に泊まっていた」と記述。推古天皇の後継問題を巡って馬子の子の蝦夷(えみし)(?〜645)と対立した境部摩理勢(さかいべのまりせ)(?〜628)=馬子の弟=が「宿泊所をうちこわした」とし、後に蝦夷側に殺害されたと伝えている。

 現地説明会は11日午前10時〜午後3時(雨天決行)。石舞台古墳西側の芝生広場で受け付け、その後に現場へ向かう。




 またしても発見!昨年、実は我輩この地を訪れ、まさに、この石舞台古墳の前にある高台で、(写真ではカーブ辺りに薄っすら階段状のものが見られると思うが)そこの椅子で上から古墳を見ていたのだった。(無料で)まさかまさか、その本の少し上に上がったところにこんな物が隠されていようとは!!!びっくら昆布部長もビックリ!(@_@;)

 そういえば、その時の模様をブログで記録していなかったなぁ〜っと今発見!近々載せようか?でももう古いネタだし・・・でもまぁ〜自分勝手のブログだから・・・まぁ〜いいか。その内載せるとしよう。

 それにしても、こう言うのが発見されていくと、また飛鳥に行きたくなる。
春の飛鳥もいいかもしれないね。

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